15
「わぁ、小夜子と会うの久しぶりだー」
顔を合わすなり小夜子に駆け寄った幸代は喜色を満面に湛えていた。その言葉通り、小夜子が幸代と会うのは夏休みの初めに遊んで以来だった。幸代がひょいと上げたのに合わせて小夜子が同様にすると、二人の手の平は合わせられて軽く握られる。嬉しそうな幸代に小夜子も笑みが漏れ──久しぶり、と返すと手の平はすぐに離れていった。幸代の関心はすぐにいつもより黒くなった小夜子の肌に向けられ、顔や腕を見回していた。
「ちょっと焼けたね」
「ああ、わかる? ちょっと焼けすぎだよね」
「どれ、白いとこ見せてごらん」
「やだよ、こんなところで」
様々な人が行き交う中、幸代は楽しそうに小夜子の袖を捲ろうとし、小夜子は笑いながらその手を押しやって抵抗する。そうしていると幸代の肩越しに二人のもう一人の友人が声をかけた。
「仲良しさんたち、お久しぶり」
「あ、真紀ちゃん! 久しぶり」
「真紀ちゃん久しぶり」
背後からかけられた声に勢いよく振り返り、そちらにも満面の笑みを向ける幸代とに続き、小夜子も穏やかに手を振る。真紀子は軽く手を上げ、それに応える。そして小夜子を見て──随分焼けたね、と笑った。真紀子の反応を見て、幸代はまた小夜子の日焼けした肌に関心が移る。
「でしょ? 小夜子どこでそんなに焼けたの?」
「あ、うん。長野のおばあちゃんのところで畑仕事手伝ってたから、かな。気をつけてはいたんだけど」
もう随分と前の出来事を口にしながら、昨日まで熱っぽさが残っていた自らの腕を目にして、小夜子は苦笑する。そして友人二人に視線を戻して、笑いかけた。
「二人はどこか行った?」
問われて幸代は──どこか行った? と繰り返し、真紀子を見る。真紀子は強い日差しが照りつける顔に手をかざしてから、僅かにある日影に身を隠した。
「お盆に母親の実家に行ったのと、あとはバイトかな」
「真紀ちゃん、バイトしてたんだ」
「真紀ちゃんちの近くの本屋だよ。私何回か様子見に行っちゃった」
アルバイトを禁じた校則のことが頭をよぎったことは笑顔で覆い隠して、小夜子が驚いて見せると、幸代が邪気のない笑顔で追加の情報をもたらす。それを聞いた真紀子は苦笑して幸代の肩をはたいた。
「あれは邪魔しに来たって言うんだよ」
「だって暇だったんだもん。私もバイトすればよかったかなぁ。どこかに行った覚えもないのに、すっかり金欠だよ」
「幸代は休み中、一体何をしてたのさ」
「さあ……。気がついたら夏休みも終わりそうになっていて、小遣いも底をつきかけていて、私にも何が何だか」
真紀子に問いに答えた幸代は乾いた笑いを漏らす。小夜子はその様子を見ながらくすくすと笑った。ときにひっかかることがあるとはいえ、この二人の掛け合いを見るのは楽しかった。
「それはいいんだけど、どこかに移動しよ。あっつい」
「どこ行く? 言っとくけど、私お金ないから」
「それはさっき聞いたよ」
幸代に苦笑を向けた真紀子は顔を手であおぎながら歩き出し、残る二人もそれにつられて足を動かす。とにかく日影へ、できれば冷房のあるところへ。歩きながら話を続ける。
「幸代はその調子だと宿題もやばいんじゃないの?」
「嫌なことを思い出させないでくれますか? そういう真紀ちゃんはどうなの?」
「私は割と余裕ですよ。残りの日数を徹夜し続ける覚悟があれば」
取り澄ました真紀子の腕を小突き、──それ私よりもやばいって、と幸代が笑う。楽しそうな二人を見て、小夜子も──二人とも頑張ってね、と笑った。
「すっかり他人事なところを見ると、小夜子はもう終わったの?」
「ううん、あと少しだけ残ってるけど」
真紀子に答えながら、こんな話をついこの前も別のところでしたことを思い出した。そのときのことを鮮明に思い描く暇も与えず、幸代が──さすが小夜子、と声を上げ向き直る。尊敬の念のこもったやたらと煌めいた瞳が小夜子に向けられていた。その持ち主は小夜子への興味を隠す気などないようだった。
「そういえば小夜子はおばあさんの家に行った以外にはどこか行ったの?」
「ううん、どこにも。図書館に通ってたくらいかな」
涼子の姿を思い描きながらついた、小さな嘘。口をついて出てから何もこんなことを言わなくてもと思える嘘。けれど幸代はまた──わぁさすが、と感心する。聞きなれたその言葉に言い訳じみた返事をすることで、小夜子は自分の中のわだかまりを誤魔化した。
「私の部屋、エアコンないから暑くって。だから涼みに行くついでなんだよ」
「そこで図書館を選ぶところが違うよね。私だったら他のところに行っちゃうもん」
幸代がそう言ったところで──本屋のバイトにちょっかいかけに行ったりとかね、と真紀子が苦々しく笑う。それに口を尖らせて見せた幸代は視線を前に戻した。
「真紀ちゃんなんかに構ってないで、小夜子と一緒にやってれば、私の宿題もはかどったかもしれないのに。しまったなぁ」
呟いて、──あ、と声を上げる。
「ねえ、今度一緒にやらない?」
そう笑いかけられて、小夜子は言い淀む。あの日の涼子との約束が頭をよぎっていた。別にそれで約束を反故にするわけでもないのに、何故か快く承諾できない。一瞬ではあるが、笑ったまま言葉を詰まらせてしまっていた。と、そこで真紀子がからからと笑って手の平をひらひらと舞わせた。
「どうせ幸代は邪魔するだけだからやめといた方がいいよ」
「なんでそういうこと言うかな」
幸代の抗議にもにやつく真紀子は胸元をはたつかせるだけで、少しもこたえた様子を見せない。
「私のバイトの時で実証済みでしょ。大体、誰かとやったところで作業効率は変わりないと思うけど。どうせもらってる答え写すだけだろうし」
「そ、そんなことは……」
幸代があからさまにうろたえると、真紀子はあははと笑って、それから──あ、ここ寄ってっていい? とCDショップに足を向けた。それで話がうやむやになる。幸代の関心がすっかり逸れたことに安堵すると同時に、頬が随分と強張っていたことに気づいても、小夜子はそれまで通りの表情を崩すことができなかった。
「ああ涼しい」
「暑かったー」
「焦げるかと思った」
口々に感想を漏らしてから、店内を気の向くままそぞろ歩く。棚に並んだ商品を眺める友人たちをよそに、小夜子はまた焼けてしまうだろうかと自分の腕に目を落とす。そこがひりひりと痛んだのは数日前のこと。ひりひりと痛む原因である強い日差しの下を一緒に歩いたのは白い肌の少女。
──涼子もあの後日焼けに苦しんだりしたのかな
思い浮かべてみても、あの白い肌が褐色に染まっていることが上手く想像できなかった。幸代と真紀子にいつもと変わらぬ笑顔を見せながら、小夜子は涼子の姿ばかり思い浮かべていたのだった。