印象

 9

週明けと共に、天気予報が梅雨が明けたことを知らせた。その途端に、太陽は容赦なく照り付け始め、地上のありとあらゆるものを熱するようになった。その対象となった人間は汗をかきかき、ふうふうと息を吐く。
なんとか少しでも暑さから逃れようと開け放たれた窓からも、同じく太陽に熱せられた空気が時折ゆるりと出入りするだけだ。

小夜子はタオルで首元の汗をぬぐい、そして顔を煽ぐ。黒板に書かれた文字の羅列が間違いなくノートに写されていることを確認すると、視線を巡らした。

小夜子の席は教室の中央、やや後ろよりにあって、直射日光からは逃れられている。けれど窓際の席に座る人は太陽の恩恵を真っ向から受けており、皆一様にぐったりしている。薄いカーテンが引かれているとは言え、それも『焼け石に水』でしかないようだ。
小夜子が気の毒に思いながらそんな様子を眺めていると、カーテン越しの陽光を跳ね返す黒髪が目に入った。真っ直ぐな黒髪と真っ直ぐな背中は一様にぐったりしている級友の中で一際目に付いた。

涼子のオーラは周りの人を寄せ付けないのと同じように、暑ささえも寄せ付けないのだろうかとぼんやりと眺める。けれどかき上げられた髪の隙間から覗いた首筋が照り返す陽光の加減で、それが愚かな幻想だとわかった。

教室での涼子は相変わらず誰とも係わろうとせず、小夜子もその例外ではなかった。
朝、登校してきた涼子を見つけたとき、小夜子は僅かな不安を抱いていた。けれど涼子はいつもと変わらず誰もその視界にとどめることなく席に着いた。小夜子もまた涼子と係わることを良しとせず、こうしてたまにその姿を覗き見ているだけだ。

ただ、小夜子はそれに僅かながらも寂しさを覚えていた。『小夜子』と呼んだその名残を教室での涼子に求めていた。こうして誰にも気付かれぬよう覗き見ているうちに、切れ長の目が小夜子に向けられる瞬間が訪れるのではないか、その目が悪戯めいた笑みを浮かべるのではないかと期待していた。

けれど涼子はそんな素振りは一切見せないまま、またふらりと教室から姿を消してしまった。

「ん? そこの空いてる席は誰だったかな?」
「高橋さんです」

教室に入ってきた教師が空席に気付き尋ねると、近くの席の誰かがそれに答えた。教師は眉を寄せ、座席表を見ながら何かを書き込む。涼子の机からは鞄すら消えていた。主不在のその席を眺め、小夜子はひっそりと溜息を吐く。そして自分の机からノートを取り出そうとした。

そこには見覚えのある簡素な封筒があった。

手紙の中の涼子は二人で会ったときと変わらず楽しげで、『水野さん』だった表記は『小夜子』に変わっていた。二人で過ごした週末の名残を見つけて、小夜子は自室で一人頬を緩めた。そしてすぐに返事を書いた。返事を出すとまたすぐにその返事が届く。そしてまたそれに返事を出す。それが絶えることなく続くようになった。

教室での二人はやはり係わりが無かったが、涼子は小夜子からの手紙を見つけると、必ず口元に笑みをたたえた。教室の中にいる誰もそのことに気付かなかったが、手紙の行方を気にかけていた小夜子だけはその瞬間を見逃さなかった。もしかしたらその瞬間を見たいがために、小夜子は手紙を出し続けたのかもしれなかった。

手紙をやり取りするのは互いの机の中。初めこそ誰もいない朝一番に教室に出向いていた小夜子だったが、幸代たちの手前、そうたびたび一人で登校するわけにもいかず、次第に級友たちの目を盗んで涼子の机に忍ばせるようになった。行動に移してみると意外とあっけなく成功した。級友たちは皆、自分が思っていたほど自分の行動にも、涼子の机にも関心を抱いていなかったのだと小夜子は可笑しくなった。

手紙の内容は実に他愛のないものだ。暑さを嘆くものだったり、授業をサボることをたしなめるものだったり、テストの出来を尋ねるものだったり。それは小夜子が幸代や真紀子たちとする会話とさして変わらないものだ。日々の会話の中では流れていってしまうようなもの。小夜子はそれを机の引き出しにしまいこんだ。取り敢えずの仮置き場のはずが、引き出しの中の手紙が占める割合は日に日に増していった。

そして手紙の中で二人は、夏休みの約束をした。

ひとつは宿題を一緒にすること。ひとつは二人でどこかに出掛けること。
どこに出掛けるのかは宿題をするときに決めることにした。

陽光は厳しく、教師も生徒も皆その暑さに辟易していた。もうすぐ一学期が終わり、夏休みに入ろうとしている。残り僅かな登校日を、小夜子は指折り数えて過ごしていた。

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