印象

 5

高橋涼子は何かと人目につく生徒だ。

彼女の行動を強く意識するようになって、小夜子は改めてそのことを思い知った。

規則に縛られない行動。誰とも馴れ合おうとしない態度。それだけでも平和そのものの校内では目に留まるのに、誰が見ても美人と評するであろうその容姿がそれに加わる。陶磁器のようにきめ細かな肌に包まれた細面に、形の良い眉、筋の通った鼻、薄い唇、切れ長の目が完璧なバランスで配置されている。おまけに背中まである黒髪は艶があり、身長こそ平均的であるものの手足は細く長い。彼女を形作る全ては周囲の視線を惹きつけている。

その多くは奇異。そこに困惑、嫌悪といったマイナス寄りのものが混じり、それよりもひっそりと憧れの色を持ったものが混じっている。常にそういった視線にさらされているにもかかわらず、涼子は気にする素振りは決して見せない。その上誰にも気づかれずにふらりと姿を消す。そういうところがまた少数の人たちの彼女への憧れを強くしている要因となっているようだった。
きっとそれは反抗期の名残りのようなもので、自分の持て余した反抗心を、自分ができないことを平然とする者に重ね合わせることで満たしているのだ。だからそういう人たちも皆向けるのは視線と好意だけで、何か行動を起こすことなどないと小夜子は思っていた。
けれど──

いつものように始業時間ぎりぎりにやってきた涼子は机に鞄の荷物を移していた。小夜子はそれを幸代と真紀子の会話を聞きながら盗み見ていた。と、涼子が手を止め、机の中から何かを取り出す。小夜子はいつもと違う涼子の動作に注視する。取り出したのは可愛らしい封筒。しばらくそれをひっくり返したりしながら観察した後、涼子はそのまま鞄にしまった。

──あれは手紙だ。

どういう意図で出されたものなのかは知る由もないが、手紙であることは間違いない。この学校の校風からして、まさか生意気な後輩に宛てた先輩からの呼び出しということもないだろう。女子高にはそういったことがありがちだと耳にしたこともある。もしかしたら──ラブレターとかいうものだろうか。

「ねえ、小夜子。聞いてる?」

幸代に話しかけられ、すっかり友人たちの会話から意識が遠のいてしまっていたことに気づく。

「ごめんごめん。ちょっとぼーっとしてた。なんだった?」

小夜子が愛想笑いを貼り付けて謝ると、幸代は口を尖らせて拗ねたようにおどける。

「もう。最近小夜子、そういうの多いよ。しっかりしてよね」

そして幸代はまた、元の話に戻っていく。言われた小夜子は確かにその通りだと思った。涼子にハンカチを借りてから、もう十日。最近の自分はどうかしている。涼子が誰から手紙を貰おうが、それがどんな内容であろうが自分には係わり合いのないことではないか。いくら返すべき物を返せていないからといって、涼子のことを気にしすぎているのではないか。どうも彼女に係わると自分のペースを乱される。

──こんなことでは駄目だ。

小夜子はハンカチを早く返そうと、再度決意した。

とは言え、今までだって返そう返そうとは思っていたのだ。けれど上手くいかなかった。周囲の目を気にしてタイミングを窺っていたのでは、いつになっても返せない。かと言って周囲の目があるところで渡して、変に勘ぐられるのではたまらない。現に涼子に宛てたと思われる手紙──らしきもの──を見てしまうと余計だ。

──そうだ。手紙だ。

涼子が手紙を貰ったことに気づいたのはおそらく小夜子だけだったに違いない。しかもいつ、誰が入れて行ったのかはわからない。この方法ならば人目につかずに返せるではないか。

単純な方法であるのに今までそれを見落としていた自分を罵りながら、小夜子はようやく肩の荷が降ろせる安堵感に包まれた。

学校帰りに幸代と真紀子と別れた後、早速レターセットを買いに走り、そして帰宅すると着替えもせずに手紙を書き始めた。

◇ ◇ ◇

高橋涼子様

突然のお手紙失礼します。

遅くなりましたが、以前お借りしたハンカチをお返ししたく、筆をとった次第です。
本来ならば直接お渡しするべきところですが、なかなか話す機会が持てず、このような形でのお礼となり申し訳ございません。
高橋さんのお気遣い、とても嬉しく思いました。ありがとうございました。
もっと早くお礼を言いたかったのですが、こんなに遅くなってしまい本当に申し訳ありません。

それから、私は本当に大したこともしていないのに、映画まで誘っていただいて、更に図々しくもご一緒させていただいてしまい、恐縮しております。

ただやはり頻繁に映画を見ていないせいでしょうか。私にはあの映画の良さを見つけられませんでした。
ですから誰かを誘うのであれば、やはり映画のお好きな方とご一緒された方が良かったのではないかと思いました。
せっかく誘っていただいたのに申し訳ありません。

梅雨入りして毎日雨が続きますが、くれぐれも健康に気をつけて。

水野小夜子

◇ ◇ ◇

読み返した小夜子は謝ってばかりの内容に苦笑いして、封を閉じた。映画の感想を入れたのは趣味が合わないのだということを伝えるためだ。これできっと涼子も話しかけようとは思わないだろう。後はこれとハンカチの入った紙袋を他の誰にも見られずに涼子に届くようにするだけだ。

小夜子はその手紙を忍ばせる場所を色々と考えてみた。が、扉のない下駄箱は手紙自体を色々な人に見られてしまうし、ロッカーも涼子が利用しているところを見たことがない。こっそり彼女の鞄の中に入れる方法も思いついたが、それを人目につかずにできる気がしなかったし、何よりも人の荷物を勝手に触ることに抵抗を覚えた。結局、机の中が一番良いような気がした。

翌日いつもより早く登校した小夜子は、教室に誰もいないことに胸を撫で下ろした。そして誰も見ていないことを確認しながら早速手紙と紙袋を鞄から取り出す。と、廊下から足音が聞こえ、咄嗟に体で隠す。他のクラスの人だったらしく、足音は教室を素通りしてそのまま遠ざかっていく。それを確認するとほっと息を吐いた。やけに脈が早くなっていた。

──これじゃ本当にラブレターを出すみたいじゃない。

自分の行動に苦笑しながら何気ない振りを装って涼子の机に近付いた小夜子は、再度辺りを確認して手紙と紙袋を中に忍ばせた。そして後は知らぬ振りをして、後からやって来た幸代と真紀子とお喋りをしていた。

教室には続々と級友たちが集まってきたが、誰も涼子の机の中に入っている物に気がつかない。それでも、もし誰かが誤って机をひっくり返しでもしたらと、小夜子は気が気でなかった。だから、いつも通りの時間にやってきた涼子が机の中の手紙と紙袋を取り出し、そして鞄にしまうところを横目に確認したときは、すっかり気が楽になり、鼻歌でも歌いたい気分になった。

ようやく小夜子は涼子のことを気にすることもなくなり、これまで通りの生活に戻った。

──はずだった。
確かにそういう日は訪れたのだが、それは数日のことだった。

体育の授業が終わり、自分の席に着いた小夜子は次の授業の用意をしようと机の中を覗いた。取り出そうとした教科書の上。簡素な封筒が乗っている。それを見た小夜子は体が硬直する。

「次、数学かぁ。やってらんないよね」

隣の真紀子に話しかけられ、素早く教科書ごと机にしまいなおす。ちらりと見えた宛名は確かに小夜子の名前が書かれていた。

「本当、今やってるところ難しいしね」

小夜子はなんでもない風を装って話を続けたが、一瞬見せた小夜子の普通ではない行動に真紀子は少しだけ不思議そうに首をかしげた。けれどそれだけで、何も訊くことはなかった。

真紀子と話を続けながら、小夜子はそおっと教科書とノートだけを抜き取って机に置く。すぐに教師がやってきて授業が始まったが、難解な数学用語は小夜子の耳に少しも入って来はしなかった。

──なんで。どうして。

答えも、それを見つけるための思考もなく、ただ疑問符ばかりが頭にこだましていた。

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