ヤドカリ

 9

「最近さ、学校で仲良くなった子が結構タイプなんだよね」

 ある朝、熱いコーヒーに息を吹きかけながら彼女が言った。私はトーストにジャムを塗っている手を止めないようにすることに必死だった。

 ついに来るべき時が来た。そう思った。

「ふうん。その人のこと好きなの?」

 嫉妬心がありありと浮かんでいるであろうその顔を、彼女には見せないように手元のトーストから目を離さずに尋ねた。

「どうだろ」

 彼女の言葉に頭の奥がスーッと冷える。手が震えそうだ。

 ねえ、遥。
 
 あの日、あなたは自分をヤドカリに捨てられた貝殻に例えたけれど、あなたはとても魅力的だから、空っぽなままでいるのはほんの少しの間だけで、きっとすぐに次のヤドカリがやってくるって思ったよ。

 でも、あなたは貝殻みたいに自分では何もせずにいるような人じゃないとも思った。
 どちらかと言えばヤドカリだ。
 私はそんなヤドカリが一時しのぎで住み着くことのできる無機質な貝殻でいたかった。
 もうそろそろ、出て行く頃なんじゃないかって思っていたよ。

「まあ、そろそろ次の人に行ってもいい頃なんじゃない」

 ジャムの蓋を閉めながらそう告げ、少しジャムを乗せすぎたトーストをかじった。その様子をしばらく眺めていた彼女は、コーヒーを一口啜った後テレビを点けてそちらを見ながら呟いた。

「そうかもね」

 そしてそれ以降、彼女は私を家に誘うことはなくなった。もう以前のようなただのバイト仲間としていることすら無理だと、しばらくして私はバイトをやめた。それから私は彼女と連絡を取る一切の手段を放棄し、伸ばしたままで邪魔臭かった前髪を切った。


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