ヤドカリ

 7

 決して訪れることはないだろうと思い込んでいた「また」の誘いを受けて、わたしはそれにホイホイ乗っかった。遥が私を求めるのなら、それが誰かの身代わりであろうが、一時のことだろうが、かまわなかった。それ以降も彼女は私を家に誘い、泊りに行くたびに肌を合わせるようになった。三度目からはなんの抵抗も躊躇もなくなって、その頻度は徐々に増えていった。

 バイトが終わると彼女の家に二人で帰り、順番に風呂に入り、世間話をする。たまに酒を飲むこともある。夜が更けてきた頃に彼女が擦り寄ってくるのが合図。私はその求めに応じる。そんな日々を繰り返していた。

 彼女は二度と「何故」とは尋ねてはこなかったし、私もまた彼女に尋ねることはしなかった。それをすれば何かが壊れてしまうことは目に見えていたから。だからただ惰性のまま悦楽のときを貪った。

 行為の最中、彼女はいつもうわごとのように「好き」という言葉を繰り返す。それですらぎりぎりと心臓を握りつぶされそうになるのに、ふとした瞬間に見せる彼女の無防備なまでの無邪気さときたら。決してそういうことではないとわかっているはずの言動や仕草は私をいつも悩ませた。

「葵の前髪、下ろしてる方が好きだな」

 二人で布団にくるまっていると、隣から顔を覗き込みながら絶頂の後のけだるい声色で彼女が言う。

「そうなの?」
「たまにドキッとするよ」

 冗談めかしていてもそんなことを言われてはこちらがドキッとする。それを気取られないよう、笑って誤魔化す。

「なんじゃそりゃ」

 彼女は頬を緩めて私の前髪を弄ぶ。額に触れる指先の滑らかさが心地良い。

「いつも下ろしてればいいのに」

 なんとなく彼女の言葉に素直に従いたくはなかった。

「だって邪魔臭いじゃん」
「短くはしないの?」
「おでこに髪が掛かるのが嫌いなの」
「ふうん」

 そう言うと、彼女はくしゃくしゃと私の髪をかき混ぜて、私は「ちょっと」とか「やめんか」とか笑いながら言って髪を直した。そうやって二人でじゃれあっているときにも冷静な自分が常に耳元で囁き続ける。

 勘違いするな。
 いい気になるな。

 いつか、彼女に求められなくなる日がやってくる。
 そのときまで私の気持ちは悟られてはならない。

 創りあげた偽りの自分を蔑まれるのは構わない。でも、自分の本心を知られて哀れみの目で見られることは我慢できなかった。ひたすら求めに応じるだけの役割を演じ続けた。


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