ヤドカリ

 5

 とっさに出た言い訳は一度思いついて笑い飛ばしたものだった。なんてひどい言い訳だろう。そんな言い訳を思いついた自分に心底あきれた。

「じゃあ、また泊るときに請求してもいいんだ」

 それがその場の空気を流すための方便なのはわかりきったことなのに、「また」を期待している自分はどれだけ馬鹿なのだろう。帰宅して落ち着きを取り戻してくると、自分のしでかしたことに冷や汗が出た。

 次のバイトは週明け。遥もそうだ。そのとき彼女とどんな顔をして会えばいいのか。笑っていればいいのか。申し訳なさそうにしていればいいのか。そもそも、彼女は私と距離を置きたいのではないか。でも、そんなのは嫌だ。

 答えが出ないまま向かったバイト先。遥はいつものようにくるくると働いて、私も与えられた仕事をこなした。たまに顔を合わせば普通に会話ができた。なんのことはない。互いの最近の出来事や、世の中の出来事、どの客が面倒臭いだのといった愚痴。今までと変わらぬそのやり取りに安堵した。あれだけのことをやらかしても彼女は私を友人として置いておいてくれるようだ。

 次のときも、その次のときもそうだった。今まで築いてきた関係が失われなかったことに胸をなでおろす。
 けれど、どこか惜しい気持ちが残っている。一度味わった遥との甘美な夜を思い返してしまう。なかったことにするにはあまりにも素晴らしい記憶は、時間が経過しても尚、鮮明だった。

「今日、この後呑みに来ない?」

 そう彼女に誘われたのは、週末のバイトの最中。勤務時間ももう終わろうかというときだった。
 甦る甘美な記憶。違う、そうじゃない、とそれを打ち消して、いつもどおりに振舞う。

「あ、いいね。呑もう」

 そうは言っても、さすがに前回あんなことがあったばかりで泊まるのはまずいと思っていた。けれど、

「葵、今日泊まってくの?」

 彼女にそう尋ねられて時計を見ると、終電の時間はとうに過ぎていた。習慣とアルコールの力とは恐ろしいものだ。

「あ。電車なくなっちゃった。ごめん。泊めて」
「まあ、いつものことだよね。お風呂どうする?」
「あ、いいよ。着替え持って来てないし」
「ふうん。じゃあ、私だけ失礼するね」

 風呂場に向かう彼女を見送って、ビールを一口。

 まずい。

 一度見た彼女の裸身が脳裏に浮かんでしまう。違う、そういうつもりじゃないんだ。しかしこの状況は非常にまずい。

 なんとか平静を取り戻そうとテレビに見入る。ビールを飲む。
 けれど平静を取り戻すよりも早く、彼女は白い肌を上気させて戻ってきた。唾と一緒にビールを飲む。

「葵も顔洗っておいでよ」
「あ、うん」

 頭を冷やすにも良い方法だ。長い髪を無造作に拭く彼女を後にして、流しに向かう。化粧を落としながら、どうしたものかと考える。

 さすがにあんなことがあった後で一つのベッドで寝るのはまずいだろう。以前までならいざ知らず、今の私は下心満載だ。今日はベッドを借りるのはやめておこう。彼女だって気まずいはずだ。

 考えがまとまったところで借りたタオルで顔を拭く。ほのかに香る彼女のにおい。
 駄目だ。本当にどうかしている。

inserted by FC2 system