ヤドカリ

 3

 煌々と光る電燈の下であるにもかかわらず早々に寝入ってしまった彼女の隣で、私は額に手を当て興奮を冷ましていた。隣で彼女が身じろぐのを感じ、視線を動かす。

 寝返りを打った彼女の顔に髪が何房か掛かっているのに気づいて、見ているこちらがわずらわしい。その髪を指で掬うと、何も遮るものが無くなった彼女の頬が顕わになった。その頬は透き通るように白くて、私はその滑らかさや、柔らかさを思い出し、唇が吸い寄せられそうになる。静かに寝息を立てる彼女の表情はあまりにもあどけない。それを起こしてしまうのは惜しくて、衝動をを堪えて、代わりに長い髪の先に口付けた。

 このままではとても興奮など冷めない。寝息を立てる彼女を残し、私はベッドから抜け出すと、床に脱ぎ捨てられた服の中から自分のものを拾い上げ身に着けた。右腕が異常にだるく、力が入らない。手首をぶらぶらと振って筋肉をほぐしながら、テーブルの上の飲み残したビールに口をつけた。

 ぬるい。

 顔をしかめながらも乾いた喉に流し込む。ずっと点けっ放しになっていたテレビはニュース番組が映っていて、しばらくそれを見ながら飲んでいた。が、興味がそそらずリモコンでチャンネルを次々に変える。どれも面白くない。観念して電源を落とすと、ビールをあおり空にした。

 テーブルの上のゴミや食べ残しを片付け、電気を消したところで垂れた前髪が鼻をくすぐる。むず痒くて指で鼻をこすると彼女の臭いがした。

 手、洗ってないや。
 あ、歯も磨いてない。

 もう一度電気を点けなおし、自分の荷物から歯ブラシを取り出して流しへ向かう。手を洗い、歯磨き粉を付けた歯ブラシをくわえ、シャコシャコと歯ブラシを動かしながら事の経緯を辿った。

 バイトの後に遥の家で呑もうと誘われた。それは週末にシフトがかぶったときの恒例で、自宅まで距離がある私が彼女の家にそのまま泊ることも恒例だった。呑み始めた彼女は付き合っていた彼氏と別れたことを報告してきて、その後はやたら上機嫌に笑って、世間話をしながら結構なペースで呑んでいた。当たり前のようにあっという間に酔い潰れた。

 どう考えたって、酒の勢いと恋人と別れて自棄になっただけだよなあ。

 あの時彼女が言った「好きだよ」が本当ならどれだけ気が楽だろう。しかし、酒に酔って朦朧としている上に、性的に興奮した状態で発せられたその言葉を、額面通りに捉えられるほど私のこれまでの日々は幸福ではなかった。

 向こうの理由はいい。それよりも自分のことだ。
 どうしてたしなめなかったのか訊かれたら、どう言い繕う?
 前から好きでした、ってか?

 冗談じゃない。

 これまでに散々一つの布団で寝ておいて、そんなことを言って下心があったなんて勘繰られたら癪だ。
 できることなら忘れていてくれれば手っ取り早いのに。

 口に溜まった唾液と歯磨き粉を吐き出し、水で口をすすぐ。

 そう言えば最中には気づかなかったが、自分から積極的に動くことはしなかった。理性を失ったと思っていたが無意識で言い訳できる余地を残していたのだろうか。求められたから断れなかったとでも言おうか。でも、断れなかった理由は?

 宿賃。

 そんな言い訳とも言えない言い訳を思いついて、苦笑いしながら電気を消した。

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