にきび

 にきびができた。洗顔もその後の手入れにも気を付けていて、ここのところ落ち着いていたのに、久しぶりにできていた。おでこの真ん中、存在を主張するみたいに赤いやつ。それを見ていたら、どうにもいてもたってもいられなくなって、だから前髪を切った。しばらく伸ばしてようやく理想の長さになってきたところだったけど、切った。

「あれ? 聡子前髪切ったんだ?」

 いつもより十分遅れて教室に入ると、既に友人たちは廊下側の一席に集っていた。挨拶を交わしてから真っ先に前髪のことに触れてきたのは純ちゃんで、教室の真ん中ら辺にある私の席にまで届くくらい大きな声で言ってきた。するとそれに乗っかるようにして他のみんなも「あれ、本当だ」と私の方を覗き始めるものだから、鞄なんて机の上に放っぽって、さっさとみんなのところに行かざるを得なくなった。

「何? イメチェン?」
「結構切ったよね?」
「うん。いや、ちょっとさ、おでこにでっかいにきびできちゃったもんだから、隠そうと思って」

 照れ笑いを浮かべて真っ直ぐに下ろした前髪を撫でてみせると、「どれ」隣にいた七海がそこをかき上げてしまう。

「ほんとだ。盛大にできてる」
「あっはは、こりゃ目立つ」
「ちょっちょっ! 隠してんだからやめてよ!」
「気にすんな、気にすんな、青春の証だ!」

 背中をバンバン叩いてくるカオは笑うけど、そうもいかない。口も尖ってしまうというもの。

「いや、気にするし。ずっと分けてたから癖ついてて、下ろそうとしてもぱっくりわかれちゃってさ。真っ直ぐに下ろすのひと苦労だったんだから」
「ああ、それでいつもより遅かったん?」
「そう。なかなか頑固でしたわ。大丈夫? また分かれてきてない?」
「大丈夫大丈夫」

 かき上げられてしまった前髪を撫でつけて確認を取ると、向かいにいた純ちゃんが指で丸を作る。すると後ろでドアが開く音がして、みんなの視線がそちらに流れた。

「あ、大島ちゃんおはよー」
「おはよー」

 口々に挨拶する友人たちに倣い、そろそろと振り返ると大島ちゃんが「おはよう」と返しているところだった。遅れて私も「おはよう」と声を掛けると、「おはよう」ともう一度返ってくる。するときちんと目も合って、なのに大島ちゃんは特に私の前髪の件に触れることもなく窓際の自分の席に向かってしまった。ほっとしたんだけど、なんだか溜息が漏れそうにもなって、急いでみんなとの会話に戻った。

「おでこにできるにきびってさー、想いにきびって言うんだっけ? 聡子は誰を想ってるんだかなー」

 そうにやにやし始めたのはクルちゃんで、私はどきりとしてしまって「さあ誰でしょう」なんておどけてみせるしかなかったのだけど、七海はいまいちピンとこない様子だった。

「なにそれ?」
「知らん? 想い想われ振り振られっつってさ、こう、できる場所によってなんかあるんだって」
「何? それは色恋的なこと?」
「そうそう」
「あー知ってる、おでこが『想い』で顎が『想われ』で、えーっと、振り振られはほっぺだよね? どっちがどっちだっけ?」

 中学の時もこんな話をした覚えがある。みんなで顔の前に十字を切りながらしばらく右が先か左が先かで話すものの、結局誰も正解を知らなくて話は流れる。誰も本気で知る気がないから調べることもなくて、今もやっぱり正解を知る人はいなかった。結局、顔の至る所ににきびができることをよく嘆いているカオが「どっちにしろ、私はいつも忙しいな」と言ったのにみんなで笑っておしまい。次の休み時間には話題にも上らなかった。

 私の場合にきびができるのはおでこと相場が決まっている。他の所にはできたことなんてない。できるわけもない。
 大島ちゃんは、にきびとは縁がないみたいに、つるんとしたおでこをしている。そのつるんとしたおでこがよく見えるように、長めの前髪を分けて横にふんわり流しているのも最高に似合ってる。ううん、おでこに限らず大島ちゃんはいつもどこもかしこもつるんとしている。春めいてきた日差しも反射しちゃいそう。陶器のような肌とはこういうのを言うんだと思う。だけど今日は顎のところに小さなにきびができていた。遠目ではとても見つけられそうにないほど小さなものだったけど、確かに昨日まではなかったものがあった。それを見つけてしまうと、もうどうしようもなくいたたまれなくなって、急いで自分の弁当箱に目を落とした。おでこのにきびを大島ちゃんにだけは見られたくない。絶対、絶対に。なのに――

「そう言えば、前髪切ったんだね」

 大島ちゃんは前髪について触れてきてしまった。きっともうお弁当も食べ終えてしまったのに、話題が見つからなかったんだろう。その声はまるで関心なんてないみたいで、まるで「じゃあ付き合ってみる?」と言った時と変わりない口ぶりだった。そのくせすっと手を伸ばしてきて綺麗な指で私の前髪を撫でてみたりなんかする。

「かわいい」

 少し笑ってはいるものの、その声はやっぱり変わらない。大島ちゃんが私に向けてくる言葉は、いつも決まり事めいた感じがする。最初から決められた台詞をただ口にしている、そんな感じ。なのに、私の顔はすぐに熱を持ち始めてしまって、「ありがとう」と返す口の端も緩んでしまいそうになる。おでこの真ん中がむずむずして、またにきびが赤みを増し、大きく膨らんでいく気がする。誤魔化すみたいに最後に弁当箱に残っていたミニトマトを口に放り込んでも、あまり効果はなかった。しかもその間も大島ちゃんは前髪を撫でたり梳いたりしてくるものだから気が気でない。案の定大島ちゃんの指は、厚めに作った前髪をすり抜けてその下にあるみっともないできものに触れてしまった。

「あ……」

 大島ちゃんが小さく声をあげる。嫌だ、嫌だ。見つかった。嫌だ。熱を持っていた顔はますます熱くなる。まだ冷たい空気でも冷やせそうにない。にきびの上を冷たくて滑らかな指が撫でていく。視線が、大島ちゃんの視線がそこに集まるのが顔を伏せたままでもわかる。何もかも見通すみたいな大島ちゃんのあの目は、厚めに作った前髪でも隠せない。ねえ、気付いてるんでしょ? 私が古めかしい迷信を気にしていること。私が大島ちゃんの真似をして前髪を伸ばしていたこと。バカみたいだと思ってるんでしょ?

「顎には……」
「え?」

 顔を上げると大島ちゃんの視線はおでこよりももっと下、私の顎の辺りを捉えていた。前髪を弄っていた指もするりと降りて、顎をひと撫でしていく。

「にきび、顎にはできないんだね」

 ふっと笑った大島ちゃんの声がいつになく、残念そうな響きを持っていた気がするのは単なる私の気のせいだろうか。

「なんでそんなこと……?」

 大島ちゃんの指が遠ざかる。大島ちゃんは「なんでもない。気にしないで」とだけ言って、苦く笑った。すると辺りの木々が風に揺れて、遅れて大島ちゃんの前髪もふわりと揺れて、つるんとしたおでこが一際露わになった。にきびなどできるはずのない綺麗なおでこ。大島ちゃんは私の問いには答えてくれなかった。けれどただ、私はそのつるんとしたおでこの端に小さな点を見つけていた。

 終

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